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ジャズ・ミュージカル『LOVE』メリー・アーティスツ・カンパニー [上演作品]


みなさま m( _ _ )m


メリー・アーティスツ・カンパニー の ほとんど更新のない この blog に苦情をお寄せいただいたみなさま ありがとうございます

苦言は しっかとお受けいたしました。

すみません ・・・ m( _ _ )m

で。
大変遅くなって もうしわけございません。

今更ではございますが 次回公演の お報せです♪


今回も
Merry Artists Company のメンバーによる 歌とダンス ビッグバンドの演奏 などなど 見所たくさんの ゴージャスなステージをお届けします♪

芸創センターのホールをよくご存知の方でも あんまり ご覧になったことのないような ステージの使い方?をしていたり ちょっと楽しい趣向もあります♪

是非是非 みなさまお誘いあわせのうえ ご来場くださいませ♪


メンバー 一同 お待ち申し上げております!!!



メリー・アーティスツ・カンパニー
ジャズ・ミュージカル  LOVE

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出演:
永見隆幸 & メリー・アーティスツ・カンパニー (塚本伸彦 米丸史朗 他)
CUGJO


公演日:
11月14日(土)&15日(日)

日  時:
11月14日(土)17:30開場 18:00開演
11月15日(日)16:00開場 16:30開演

入場料:
指定席/1階 S席5,000円 A席4,500円
自由席/2階 3,500円(学生3,000円)

公演会場:
名古屋市芸術創造センター
 名古屋市東区葵1-3-27
 TEL.052-931-1811


プレイガイド:
・ローソンチケット 0570-000-777(10:00~20:00) 本公演のコード L:48182
・愛知芸術文化センタープレイガイド 052-972-0430
・スマイル・ミュージカル・アカデミー


お問合せ :
・マネージメント・プロ TEL:052-735-3151
・スマイル・ミュージカル・アカデミー TEL.0568-34-8078





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The Leading Actor & Singer : NAGAMI Takayuki      PHOTO:田中聡(テス大阪)





感性と知性、主観視と客観視の 両立する 多面体
芸術文化振興機構アーツ・アクティヴェイター理事 土崎正彦



 メリー・アーティスツ・カンパニーの永見隆幸さんを知るようになったのは、たしか2002年のことですから、それほど昔のことではありません。伏見の雑居ビルにある私の小さな画廊を訪ねて下さったのが最初の出合いでした。

ちょうど設楽知昭さんの個展を開催しておりました。万人向きとは云い難い、含蓄のある作品内容を、
的確に読み解いて頂いたとの印象が今も鮮明に残っています。

クラシックからジャズまでを範疇にされる音楽家であると知ったのはその後のことです。

そんな永見さんが美術の見者としても一頭地を抜けておられると判るまでに長い時間は要しません。
こうして画廊の仕事をしていますと、見ている人を見ていればどことなく伝わることがあるものです。
冴えない勘頼みで褒められたものではないのですが、初対面の印象で不思議と伝わります。

その後しばらくして、永見さんがただの見者ではなく美術評論もなさる著作家でもあると知り、私としては汗顔の態です。

たしかに世に万能は存するもので、それは感性と知性を希にバランスよく備え持つからこそ
ありうることだと思います。

またスポーツ選手のフォームにも通じることですが、自らのフォームが見えると一流とよく云われます。主観視と客観視のバランスもその重要な要素です。

それらを備え持つからこそ異なった世界にありながら自己を十全に発揮できるのでしょう。


 そのような永見さんにとって幹はあくまで音楽、美術は枝や葉と申し上げても叱られはしないと思います。
ただ私には互いが効能を支え合う一本の樹木こそ大きく枝葉を拡げる多面体の永見隆幸さんに見えています。
音楽と美術が個の中でたがいに干渉しあい、より大きな個を形成しているように思えるのです。
全く人の可能性には限りがありません。

 そんなご縁を得て以来、歌うことなど以ての外、鑑賞はせいぜいラジオやレコードであった私に
生の舞台に接する機会が増えました。とても嬉しいことです。

メリーのライヴは、まずソリストとして個々のアーティストの歌とダンスの鍛え抜かれた素晴らしさ、
その上で、マスとしての卓越した和と同調性がなによりの魅力です。子どもたちのいきいきとした演技にも心が和みます。加えて、迫力満点のオーケストラの共演はまさに鬼に金棒の感です。

生の音の美しさ、そして躍動感、ことに客席をも包み込む一体感は極上の醍醐味です。

技術的な難しいことは私には判りませんが、その場で沸き起こる感覚を素直に楽しむことにしています。


 ところで、ステージ・アーティストである永見さんは、まだ別の側面をお持ちになるのです。芸術家集団メリー・アーティスツ・カンパニーの公演自体のプロデューサーであり、さらに、芸術文化振興機構アーツ・アクティヴェイターの主幹としてもこの地域の多様な芸術文化活動の要諦です。

何よりも若きアーティストのよき指導者なのです。
歌うこと、踊ることを通して、この生きにくい時代であるからこそ「夢をあきらめないで」を伝えつつ、その輪の広がりの只中でつぎに向かうべき方向へと指針を掲げておられます。

ほどなく、メリーに集う若樹たちも成長を続け、生い茂り、豊かな森へと変貌して行くことでしょう。


つけても三度目の芸術創造センターでの定期公演が待たれます。



(写真は 土崎ご夫妻  白土舎 Hakutosha にて)
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土崎正彦 TSUCHIZAKI Masahiko


大阪フォルム画廊、ギャルリーユマニテ、
白土舎代表を経てフリーに。

現代美術の目利き、見巧者として知られる。










【美術家の視点】





舞台は光学装置     画家 愛知県立芸術大学教授 設楽知昭


一茶の句に「露の玉つまんで見たるわらべ哉」(八番日記)があります。
これは、子供が葉先などに付いた水滴をそっとつまんで
レンズ替わりにして覗いているというような様子を詠んだものと思われますが、
私には一茶自身が水滴をつまんで
子供を覗き見ているというようにも感じられるのです。
小さな水滴レンズの中に愛すべき世界が凝縮されて見えてくる、
素敵な句だなあと感心するのです。

それから「青空に指で字をかく秋の暮れ」という句があります。
これは「七番日記」に収められています。
私などは、現代に詠まれたシュールな俳句と受け取ってしまい、面白いのです。

ちょっと理屈っぽい云い方をしますが、
青空は太陽の光が地球を取り巻く大気層に反射して見えているのだそうです。
絵画も光と物質(絵の具)によってもたらされるものですが、私は画家ですから、
絵画はただ光に照らされる物というより、積極的に光を変化させ、
生き生きとイメージを生み出す装置であると考えています。

さて、今宵、帳を開けて、光を灯して見せるはメリー・アーティスツ・カンパニーの舞台、
踊りと音楽と歌声が一体となって、光り輝くイメージとして私たちに届きます。
これは、芸術監督の永見隆幸さんが、
こよなく詩歌、絵画を愛する人でもあるからだろうと想像しています。

この舞台は光学装置でもあるのです。

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「美術家の視点」     美術家 鷲見麿


 とても「お恥ずかしい」ことですが、
ジャズ・ミュージカルというのものを生まれて初めて見たのは、
友人である永見氏が出演されるということで、
メリー・アーティスツ・カンパニー第1回定期公演でした。

正直言って、それは私の想像をはるかに超えており、
メイク顔の永見氏が気のせいかマダム風に見えましたが、
「アマ (注:女性の俗称ではありません。素人=アマチュアの意)
としてやっているのではない」という事実を突きつけられてしまいました。

そして今回、そのマダム風の永見氏から、
「美術家の視点」で舞台の感想などを書いてほしいとの申し出があったのです。

元来、音楽というものには全く疎い私は、
(例えば、ピアノでレミファソラシドレと弾いてもドレミファ…と聞こえてしまう)
何をどのように書けばと悩みましたけれど、
絵画的手法を使えば少しはなんとかなるかも…。

 そう、あの時、あの舞台は、
次から次へと息を呑む間もないくらい私の身体を刺激してくれましたが、
「もし永見氏が150センチくらいの小柄な人だったらどうだったのだろうか」と、
ふと考え込んでしまいました。

でも、たぶん永見氏はこう言われるでしょう。
「スミさん、小柄であってもやり方次第でOKですよ」と。
ということは、ダンサーの人達を全員大柄な人にするということなのだろうか…。

そういえば第1回定期公演について、
永見氏は「ダンサーを同じぐらいの身長でそろえるのはダメです。
低い人もいるから良いんですよ」と語っています。

なるほど、均一になるとフラットな感じでキレイすぎるかもしれません。
確かに、あの時、ダンサーの人達などによって見事に遠近法的な空間が出現し、
さらに大柄な永見氏だからこそ、その空間を突き破り、
とてもダイナミックなステージになっていました。

 正直なところ、小柄な私としては
「やり方次第でOKですと言われてもねぇ」という気持ちです。
もう、こうなってくると自分の出る幕はなさそうなので、“ ス ミ ” の方に身を寄せ、
第3回定期公演をそっと拝見しますが、その際、神様に
「テクマクマヤコン、テクマクマヤコン、どうか永見氏が小さくな~れ。」と、
お願いしてみます。

 ここまで書いて思うのは、私がなんのかんの言ったところで、
とっくに「美術家の視点」の答えが、
いくつも 永見氏の引き出しの中にある ということです。

あっ、たった今、その永見氏が赤いバラをくわえて、しかも、あのメイク顔、
そしてなんと、ドレスを着て私の家にやってきたじゃありませんか。

「ねぇ、スミさ~ん。頭でっかちな戯言(たわごと)をガタガタぬかすんじゃないわよ、
身体(からだ)全体で感じるのよ、いい?」

 私の友人、永見氏は、このようにして、舞台で演出された遠近法を突き抜け、
空間や時間の概念を超え、私の家にまでやってくる人なのです。
そう、私はまんまと彼のゲームの中に引きずり込まれてしまったのです。
あーあ、なんということなのだ。


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メリー・アーティスツ・カンパニーのミュージカル
 美術家 愛知県立芸術大学准教授 森北 伸


普段、僕の生活はミュージカルのミの字もありません。
普段聞く音楽と言えば、ポゴダンスよろしくのクラッシュやラモーンズ、
ふざけた歌詞のロリータ18号、薄汚いライブハウスが似合うスタークラブ、
ブリブリのスラップベースを奏でる
ブライアン・セッツアー・オーケストラバンドなどなど、、、

昔よく行ったライブは スタンデングの中、
皆が唾を飛ばし激しく暴れる中でステージからダイブして遊ぶ(?)
ものぐらいしか行かなかったので、
知り合いが出るミュージカルとはいえ、
どこかバツの悪さを感じながら見に行くというのが正直なところでした。

それでも当日は、自分なりにおめかししてしまうし、
開演15分前になれば緊張と期待でソワソワする自分がいました。

そして見終えた後には、
大好きだった映画パルプ・フィクションでジョン・トラボルタとユマ・サーマンが
ゆったりとしたロックンロールナンバーが流れる中、
ジョン・トラボルタが老練なダンスを披露するシーンや、
映画ブルース・ブラザースでキャブ・キャロウェイが
舞台で小さく踊りながら渋い声で歌うシーン、
超B級映画クライベイビーでジョニー・デップが若さだけを武器に
ジェイルハウスロックを踊り歌うシーンなどを思い出させてくれる
見事なミュージカルを披露してくれたのです。

それは無知な僕でも十分に楽しませてくれました。
そして僕が好きなミュージシャンのスタイルは様々ですが、
ジャイブやブギウギ、ソウルなどの下地にあるミュージシャンの音楽が
特に好きなんだと自覚させてもくれました。

満足した帰りは知り合いとイタリアンを食べにいき、
こんなゆっくりと楽しむ一日があってもいいなと感じ帰路につきました。

話は変わりますが、
小学生の時に小さなミュージカルを見に行ったことがあり、
感動して自分も将来ミュージカルスターになることを夢見た時期
(恥ずかしながら本当の話です)がありました。
結局その夢は叶いませんでしたが、
永見さんのミュージカルには沢山の子ども達が出演しており、
また沢山の子ども達が会場を後にする場面を目撃しました。

舞台が終わり、演者さん達が帰るお客に挨拶をしている場所には、
素敵な衣装を着た子ども達が素敵な笑顔で挨拶をしている姿や
興奮してスキップしながら帰る子ども達の姿が、とても印象的でした。


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水面下の足捌きなど見えぬ、きらめく “星くずのステージ”
 美術家 フジイフランソワ


我が輩は絵描きである。名前はまだない。
あ、いや、名前はついてるのだが、畳敷きの日常からひょいと首筋を掴まれ、
矢庭に眩い星くずのステージに「ようこそ~」とばかりに招きいれられたような、
永見さんとのご縁の始まりは、こんなめくるめく展開のイメージである。

芸術に造詣が深く、現代美術も愛情を注いでご覧になられてるとのこと、
私の作品にも気を留めてくだされたのが、めくるめく展開の序章。
絵描きとしましては作品のお目通り
いわんや気に入って戴けるなんざ しあわせの極み。
言葉を交わすのとはまた一味違う、
作品を通してのコミュニケーションは“眩い星屑のステージ”なのであります。

そんなこんなの此のお方、果たしてどんな幅広い感性のお方か。
その一端に触れたのが
メリー・アーティスツ・カンパニーのジャズ・ミュージカル『HOPE』。

これがまた“星くずのステージ”! まさにキラキラめくるめくストーリー展開で、
ひょいと別世界へいざなわれたのでありました。

たっぷり余裕を感じる豊かな歌声で彼のお方は現れ、
ステップを踏んだり手を広げたり、トランペットは高らかに鳴り響き、
右に左にポーズが決まるたび、
パァーンパァーンと尾をひいてはじける花火のような流星群が、
そのカラダから飛び散るのが見えたような。

嗚呼これは都会の夜の夢、いや、夢にとどまらず、
この舞台は美女やら伊達男やら労働者やらおチビちゃんやら、
その夢を誰もが手にした絵図のよう。

いとも容易く軽々と、ステップを踏み、伸びやかな声を響かせ、
まるで永遠に笑顔でスイングしているかのように存在しているのであった。

子供の頃サーカスを見て「果たして笑顔で玉乗りをしてるこのピエロは、
どんだけ練習して どんだけ泣いたんだろ」と考えてしまう、
私はそんな人物だったのだが、
水面下の足捌きなど見えぬ、滑るように優雅な水上の白鳥のように
“ いとも軽々と楽しげ ” にきらめく星屑のステージを感じさせてくれた。
そして放出されるそのエネルギーに乗せられていくのである。

世界中を飛び回りながら、皆をそのエネルギーでいざなっていく、
そんなお方の そんな舞台、しかと胸に刻みました。


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ミュージカルの舞台は、バロックのオブジェ     美術家 染谷亜里可


ミュージカルにおける最初の瞠目は幸福感です。

歌とダンスだけでも私たちは孤独や鬱屈としたものにとどまってはいられない
「遊ぼう、おいで」という誘いを感じることができます。
この幸福感は幕が明くと同時に始まり、
この突然感が、現実離れした世界への誘いに迷う暇を与えません。

「イッツ ア ショウ タイム!」
これはミュージカル映画「オール・ザット・ジャズ」の中の繰り返し言われる台詞です。
日常引きこもっているような私にとってはまさに腕をひっぱられるような感じです。

こうした感覚を喚起させるために、
ミュージカルでは舞台はもちろん音楽を視るように促しているような気がします。
楽曲は絵画でいえば色の役割でしょうか。
虚空を満たし、事実視覚世界をコントロールします。
そこに舞台と演技が加わって一気に感情をもっていきます。
よし、これに乗っかってやろう、
だまされるとは自分を投げ出すことにほかなりません。

そして舞台の終幕。物語はもちろん希望に満ちた結末を迎えるのですが、
なにより出演者総出のフィナーレが幸福な余韻を残すのです。

そしてこれらが、
ミュージカルが示してくれる もう一つ別の価値をもたらすと考えます。

ミュージカルの舞台は、ひとつのバロックのオブジェのように感じられます。

私たちを魅了する理由の一つとして、
特異であるということ、常軌を逸しているということがあり、
歌舞伎の由来になった「かぶく(傾く)」に近いといえるでしょう。

多様なものが組み合わされて、望むものを余すところなく取り込んで
一つの形にしたものは まさにエンターテインメントの真髄だと考えます。

メリー・アーティスツ・カンパニーのミュージカルにも
バロックのような総合芸術の持つ必然を感じるのは私だけでしょうか。


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もうひとつの現実という不可解で魅力的な世界へ積極的に立ち向かう人々
 画家 生川晴子


私は絵描きですが、
現代において絵画の必要性を懐疑的に捉えてしまう傾向があります。
もはや絵画は必要レベル最低値を更新し続けているのではないかと、
卑屈なまでにネガティブ思考に陥ることがあります。

しかし矛盾しているのですが、同時に絵画を全肯定する感情があるのも確かです。
それは、もうひとつの現実というようなものかもしれません。

絵画なんてムダだと唱えながら、結局それと正反対の現実に圧倒されてしまう、
美術とは、音楽とは、芸術とは…。

敢えて分類しない方がよいかもしれません。
日常、非日常にも混在しているからです。
カタチはどうであれ、五感で感じとる中に、
自分ではどうしてもコントロール出来ないものがあります。
掴みたいと思っても、触れることができないもの。
それは一体何なのかと白昼のもとに晒して確認したいもの。

広義に捉えるならば、人間の営みというものが大半はそういうもので構成されていて、
白か黒かなんて明確に判断できる事の方が少数なのかもしれません。
そう思うと、大半の掴み切れないものを、どう処理するかはその人次第であって、
見てみぬ振りをしてしまうのも心穏やかに過ごすひとつの手かもしれないし、
勿体無いけれど、
最初からそんなモノは無いのだと断定してしまうことも出来るでしょう。

抽象的な前置きが長くなってしまいましたが、
永見隆幸さん率いるメリー・アーティスツ・カンパニーさんの活動は、
おそらく上記で述べた、もうひとつの現実という不可解で魅力的な世界へ、
積極的に立ち向かう方々なのではないでしょうか。
何度もチャレンジをされて、
幾多の障壁を乗り越えて来られた方々なのだと想像しています。

そして、そのような修練を積まれた方々の結晶を見せていただける機会は、
世の中にそれ程多くないと思うので、それを目の当たりにした時、
私は無条件に、また無自覚に気持ちが動き、只々圧倒されてしまうのです。

メリー・アーティスツ・カンパニーさんの活動は、
現代における文化の担い手として重要な役割を果たされているのだと思います。


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心に何度もとり出せるように残る、この舞台のために集められた時間
 画家 坂本夏子


今年5月から描き始めた絵は、
おおよそ2メートル四方の大きさが2枚で対になっています。
ちょうど鏡合わせのように絵と絵を向かい合わせて交互に描き進めています。
タイトルは「BATH」といいます。
タイル張りのバスルームのような場所に、
シャワーを浴びたりしている人物がいる絵になりました。
タイル一枚一枚を完成させながら描いていきます。
全体の完成を予想しすぎないで、そのとき描くべき部分の最善を尽くすことを、
絵を描く方法の中心にしたいと思っています。
わたし自身の予想を超えた空間が生まれることを期待しています。

もう6ヶ月の間この絵の間に立って、ほぼ毎日描いています。
絵の本番は毎日といえるかもしれません。絵は物質だから、
すべて絵の具の集積となって閉じ込められます。
細かな修正のようなことさえ一部になってゆくようです。

永見隆幸さんが率いるメリー・アーティスツ・カンパニーの舞台の本番は、
やはり一度きりのものです。舞台は生もので、幕が閉じれば消えてしまいます。
本番での修正は許されない厳しい世界であると想像します。

舞台を観ている わたしは その裏側に、
選ばれた たくさんの人々が舞台の完成にかけた時間を感じない訳にはいきません。
数時間の舞台です。
けれど わたしたちを魅了するこの舞台のために集められた時間は、
わたしの心にも何度もとり出せるように残ることだと思います。


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SITUATION


ニューヨークの とある場所。

ある日、いつも楽しいことを探している プロデューサーのディックが
歌手であり演出家でもあるチャーリーに こんな話を持ちかけたことが始まりだった。

ディック:
 やあ チャーリー。 本格的な歌と踊り
 そして おいしい料理に美味い酒が楽しめる場所
 そういうクラブがあったら流行ると思わないかい?

チャーリー:
 そりゃ いい考えですよディック。
 ボビーの歌とナンシーのTAPダンスを中心に
 プログラムを組みましょう。
 僕にお任せいただければ3日でショウを仕上げてみせます。

ディック:
 そいつは頼もしいな。 だが慌てるな。
 店をオープンさせるには 入念な準備が必要だ。
 どこにも負けない素晴らしいナイトクラブを作ろう。

チャーリー:
 OK! じゃあ 早速オーディションをしますよ。
 ショウを盛上げるダンサーにシンガー、
 ブロードウェイで 踊ってる連中にも声をかけて、メンバーを決めます。

ディック:
 よし、それでいこう。 ただし、トップダンサーは・・・

チャーリー:
 もちろん、心得ていますよ。 トップダンサーは貴方の・・・

ディック&チャーリー:
 シンディで!

    ・
    ・
    ・

キャブ・キャロウェイの名曲「Jumpin' Jive」
 「Minnie The Moocher」
フランク・シナトラ版「Night And Day」
フランキー・ライモンの「Why Do Fools Fall In Love」
ペリー・コモが大ヒットさせた「And I Love You So」

そのほか
「Steppin' Out」
「Boogie Wooggie Bugle Boy」
「Pet Me Poppa」
「Guys And Dolls」
「Luck Be A Lady」
「Sit Down You're Rockin' The Boat」など

ステージ上で進行するリハーサルと
シンガー&ダンサーの日常を
名曲と共にお楽しみください ♪



反響など 詳しくはこちらをクリック!
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http://merry-uta.blog.so-net.ne.jp/2009-11-28
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